2006年10月 7日 (土)

再びの挨拶

というわけで、出版社を作って本を出していきます。個人ブログを中断して早4ヶ月、その間は本当に会社を辞め、会社を作ることで精一杯でした。日記も書けないなんてことはないだろうと言われればそれまでですが。

昨日は、ある人から開業祝のコーヒーメーカーが届きました。格別の思い入れがある人からの頂き物なので、正直とても嬉しかった。こういうことがあって、モチベーションは保たれ、そして、次のステップなり、ターンなりが踏めるし、切れる、そう思います。

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2006年5月19日 (金)

性同一性障害の子ども

Kさんもブログで早速書いているけど、今日はこの話題でもち切りでしょう。見舞いにいった病院でパートナーも言っていたけれど、まあまあ偏見が少ないほうの人たちで形成される世間の評価であっても、概ね「ここんちは身内が偉い」ということになってしまうのではないだろうか。

Kさんが言っている、前提としての「否定的な意味づけの受忍」と言う指摘は全くその通りで、このあたり例えば発達障害をめぐる議論の中でも今一度きちんと考えられてしかるべきだろうと思うし、つまりは「ここんちは身内が偉い」という僕も第一感としてもった感覚もこうしたことに支配されているのだ。全く自分自身が情けない。

異なるもの(のように見えたり、よく考えないことでそう認識してしまったりするもの)の排除が、予め措定される世の中は良くない。せめてそれぐらいはきちんと頭に入れておきましょう。

とまれ、悪意に満ちた「あの子はだあれ」ゲームだけは起こらないことを祈る。

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2006年5月17日 (水)

病の日

パートナーが「大人の水疱瘡」にかかってしまい、入院と相成った。三日間も40度近い熱が続き、どうしたことかと気に病んでいたので、本人のことを思えば大変ではあるけれど、病名がわからず、おろおろしているよりはまだましである。

着るものなどを届けに行くと、感染症ということで、マスクとか手洗いとか、ドア開放厳禁とか、完全に隔離病棟と化している。看護師の皆さんにも、勘ぐりすぎかも知れないけれど「染る病い」への忌避感が感じられて、何だかなあと思ってしまった。

僕自身もここのところ調子が悪い。Eさんの原稿やら、Oさんの原稿やら、読んでコメントを返さなければならないものが溜まっているのだけれど、熱と吐き気で眠れず、したがって昼の時間が有効に使えないという悪循環になっている。

とはいえ、9月がターニングでもあり、バーニングでもあるポイントになるのは、間違いがない。小沢勲さんが教育テレビのインタビュー番組で「患者と言ったことはない」と、認知症のある人について言っていたが、結局、その視点が欠落しているというか、親和性や、初動の志への想いとったものが全くなくなっている、あるいはその表出が阻害されているということが問題なのだ。後は、胆力と、少なくていいけれど、コアを形成する援助者である。要するに熱なんか出してないで、ほんとの意味で格好良くしないといけないということだ。

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2006年5月 9日 (火)

渡さんの本

亡くなった高田渡さんが2001年に上梓したバーボン・ストリート・ブルースという本の中に、「ガンコのすすめ」という一節があって、帯にも使われているのだが、こんなことが書かれている。

「今はたぶん“目先の時代”なのだと思う。
いつもみんなといっしょに目新しいものを追いかけていたい、
みんなが持っている新しいものを自分も持っていたい。
みんながいる新しい場所に自分もいたい――
それをしていないと、自分ひとり取り残されていくような疎外感に襲われるのだろう。
そして洗脳する側もまた巧みにその不安感を煽ろうとする。」

べ平連に言及して、小田実を「自分の生活はしっかりとガードし、戦闘の最前線に兵士を送り込む司令官」と痛烈に批判し、「『変わらないなあ』と言われる。それはそうだ。根っこも生き方も変わっていないのだから、変わるわけがない。それが若いころに『オレは絶対に変わらないよ』と公言してはばからなかったヤツにかぎって変わっていたりする。言わなければいいのにと思う。」と語る渡さんらしい、当たり前といえば当たり前の言葉だけれど、久しぶりに読んでかなり応えた。

おそらく、渡さんが言っているのとは違う意味に読んでしまっているのだろうけれど、現状から一歩を踏み出すことがなかなか出来ないでいる私自身への痛烈な皮肉に聞こえるのだ。

結局は、変節しない単独者でいることが出来なくて、毎日、言い訳を探しているだけ、自分のことを棚にあげて、まわりのせいにしているだけじゃないのかお前は、といったような。

売れようが売れまいがかまわない、オレは変わらず演るといって、本当にそう生きた人ならではだなあ。決して声高ではないけれどその代わり変節もしなかった渡さんの言葉はある普遍性を湛えている気がしてならない。

どこまで出来るかはわからないけれど、少しは見習って頑張ってみるかと、連休中の酒の呑みすぎで弱った胃の腑をさすりながらそう考えた次第です(酒で死ぬことまで倣いたくはないけれど)。

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2006年4月28日 (金)

面白い話は抜きにして

現実の事例をプライバシーに十全な配慮をしながら、丹念かつ、大胆に取り上げ、峻烈にしかし、共感をもって書き上げた文章は、人を引き付ける。臨場感、ドラマ性、良い言い方ではないが覗き見、感動や涙への訴求。先行研究の成果と正面からは向き合うことはないかもしれないが、手法は十分に咀嚼され、場所・空間・関係性は姿を変え語られる。それはやはり新鮮で、別種の面白さがある。

比べて、先行研究に対し敬意をもって検討しつつも、予め平伏するのではなく、疵があると判断すれば臆せず批判する、しかし、あくまで論理構築上の話で生々しい事例はいっさい登場しない。そうした、若い研究者の論考はともすれば疎まれる傾向にあるような気がしてならない。

わかりやすければ何でもいい。面白ければいい。それだけではつまらないし、もっと言えば大変危ういことになってしまう。繰り返し繰り返し読んでも理解できない、しかし、何か大事なことを考えている、発言しようとしている。それは理解できる。だから、今一度読んでみる。

短絡的に、乱暴に、社会や世界を説明しようとしない。真摯に丁寧に事物を考え、説明しようとしている論者は尊敬されるべきだ。自分の能力の及ぶ範囲に自信が持てなければ、せめてそれぐらいには謙虚でありたい。

面白い話は全くないけれど、真っ当なことを考えている。難しいけれど大事なこと。Hさんの論考をそんな想いで行きつ戻りつ読んでいる。

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2006年4月26日 (水)

0.62

「口座を開くこと自体は別に問題はないのじゃない。半年、飲まず食わずの覚悟があればね。ただ、ほとんどつぶれていくみたいだけど」という、励ましにもならない、貴重なサゼッションをいただいたり、ノマーが逆転のグランドスラムをかっ飛ばしたり、まあまあ、良い日ではあった。

評論家(?)の呉智英氏が、自身の父のことを取り上げ、二日ほど前に朝日に載せた短文の中で、「家族をもちながら自分のことしか考えない知的なエゴイストで、そこを私は尊敬していた」といった趣旨のことを書いていた。普段の言説はともかく、この一文に限っては、正しいように思う。

エゴイステックという言い方が悪ければ、はやりの自己実現でもいい。一度きりの生において、何らかの徴を刻みたい(絶対評価ではなく相対評価が常で、なおかつそれをこそ欲するのがまた悲しい)と思うのは当然ではないのか。

といいながら、それでは自己決定という四文字から遠く隔てられた存在はどう考えればいいのか。そこに、思考はいつも還っていくのだけれど、結局は辿り着かないとしても、その答えを探して何かを(出版という仕事に関連して)、紡ぎ出していくしかない。たとえ、0.62でも。

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2006年4月25日 (火)

THINK NOMAR

ドジャースのキャッチコピーはご存知の通り、THINK BLUE だが、ようやくノマーが帰ってきた。ノマーについては、僕などとても太刀打ちの出来ないブログ、作曲とMLBというのがあってよく拝見しているのだが、いやあ、本当にめでたいですね。

なぜ、ノマーが好きか。これは本当に人それぞれだと思うけれど、談志と志ん朝、神山雄一郎と吉岡稔真、デレクとノマー(イチローなぞ論外)という風に対比すれば何かが見えてくる気がする(無論僕の好みはすべて後者)。半可通は前者の玄人臭さを取るのだろうが、素直に向き合えば、落語・競輪・ベースボールの本来の魅力をどちらが体現しているかは明白だと思う。

多少、悲劇性を纏った所があって、そこを応援している部分がまったくないかと言えば嘘になるけれど(妬まれ騙されても結局談志を擁護した志ん朝、上手いだけで走りに何の魅力もない「人格者」神山に先にグランドスラムを取られた吉岡、スタンドに突っ込んで顔を血だらけにしたデレクとベンチで佇む自分の姿とを対比され石もてボストンを追われたノマー)、それが一義ではない。

本当の意味での「流暢」な噺、下手な技巧を叩き潰す車のスピード、ハードヒットとストロングアーム、そういうものが見たいから、そこに金を払うのは惜しくないと思うから、彼らは僕がリスペクトするプロなのだ。

本当は、カブスのユニフォームのまま現役を全うしてほしかったけれど、アナハイムに行かれてしまうよりはまだ良かった。とにかくDLにもう入らないことを祈る。頑張れ、#5。

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2006年4月24日 (月)

木久蔵師匠の落語

昨日、今後のこともあるので、疲れているのに無理をして K市自立支援ホーム立ち上げ2周年の集いに出かけてきたら、案の定、風邪を引いてしまったようで、一日寝ているはめになった。

木久蔵、正蔵二人会のチケットをいただいて聴きにいったのは、もう先週のことで、書こう書こうと思っているうちに、あっという間に一週間が過ぎてしまった。両師匠とも新作だったのだが(木久蔵師は「彦六伝」の予定を替えて、「昭和芸能史」。正蔵師は「読書の時間」?)、つまるところ、自分自身を客観視して笑いのめし、声色さえも実体験に基づく凄みがある木久蔵師の突き抜けて乾いた笑いに対して、いつまでも小朝兄さん(色々な文献を読むと、この人は本当に評判が悪い。プロデューサーとしては有能なのだろうけれど、嘘は洒落にならないというやつでしょうか)や、志ん朝師に目を掛けてもらって来たという自慢話ばかりで、気が弱くて、湿っぽい半可通の教養講座の正蔵師は全く歯が立たないというのが率直な印象だった。

正蔵師の評価は、「景清」あたりを聴いてからにしたほうがいいと思うが、木久蔵師の切れ者ぶりは本当に見事。この辺は、吉川潮さん(何でも談志師にお伺いを立てるのは情けない気もするけれど)、が定本として最近出した文庫に詳しい。

それと、木久蔵師の新作の代表作2点はキクラクゴというCDで聴けるのだが、会心の出来と言うわけではない。この音源で決め付けずに、是非にもライブで体験されることをお奨めします。

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2006年4月20日 (木)

お勉強の時間

いよいよ処遇がはっきりしてきたので、これを先途とお勉強をせねば。

今日は予ねて噂を聞いていたK大のGさんにご挨拶のメールを書いた。抜き刷りを送ってくれるそうだ。感謝。なかなか手に入らない雑誌なので本当にありがたい。社会モデルを潜ってきた上での身体に関わる言説といったあたりで、何か新しいことを考えている人とお知り合いになるのが目下の目標ではある。

金曜にはT大のHさんとお会いするし、今週中には、H大のHさんの論文も読めるはずなので楽しみ。というわけで今日は敬愛するKさんの文体を真似てみました。似ていないけど。イニシャルが多いのは格好をつけているわけではありません。まあ、こんなことをしてみたくなるときもあるよね。

明日は、林家木久蔵の芸の奥行きについて書くつもりでおります。乞うご期待。

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2006年4月18日 (火)

坂庭省悟さん

この間KBS放送から、著者の連絡先問い合わせの電話が会社に入ったことがあって、高校生のころ東北の片田舎から、京都KBSの深夜放送を、必死にチューニングをして聴いていたことを思い出した。

エンディングに「ヘイヘイヘイ」という曲が必ずかかっていた、その番組はナターシャセブンというバンドの持ち番組で、高石ともや、城田じゅんじ、木田たかすけ、坂庭しょうごということになるのだが、それはさておき、今日は坂庭省悟さんである(ソロになってから名前は漢字表記)。

ミュージシャンにサインをもらったと言うのはその時の省悟さんが、初めてなのだけれど、それは、彼のソロのライブ、千葉県は柏市であった、精神障害のある人のピア・サポートの会のチャリティイベントだった。市野川容孝さんも顧問になっていた集まりだったが、その日市野川さんはたしか来ていなかった

省悟さんのフラットマンドリンと、決して上手ではないけれど、ハイロンサムと言う気分を日本では一番体現していると勝手に思っていたボーカルの、僕は大層なファンだった。

そのころ、今一緒に暮らしている人に、気持ちをうちあけようかどうか、悩んでいたころで、何かそんな思いも託す気分で、終演後、省悟さんにサインをお願いした記憶がある。お願いしたのは、高校2年のとき、受験の下見とうそをついて東京で聴いたナターシャのコンサートで買った、『107SONG・BOOK』の表2の見返し。赤いサインペンで「Shogo 2003.3.15」と書いてくれた。緑色の表紙の25年も年を経て汚くなった、『107SONG・BOOK』を見て省悟さんは、「うわー、なつかしい。よく持っていてくれましたね」と言ってくれた。

省悟さんはその9ヵ月後の同じ15日、この世を去ってしまった。盟友のじゅんじさんも、訳あって今は獄中のはずだ。

省悟さんの30周年記念ライブ版、『この想い』という2枚組みのCDがあって、その中の、「別れのうた」や「クスの木の森で」はとてもリリカルで好きな歌だ。ゲストのイサトさんや、渡さんの、省悟さんとの掛け合いもとてもいい。

その省悟さんへのトリビュートアルバムが出たらしい。この一週間、まあまあよく働いて、Nさん、Kさんへの約束の第一歩は果たせた。少しは休んで、省悟さん、トリビュートを聴かせてもらいます。

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