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2006年3月29日 (水)

介助者手足論

この間の土曜日にあったある研究会で、青い芝が提起した「介助者手足論」が、中心的な話題として語られる機会があった。

その、現在における有用性について、障害当事者はむしろ否定的で、「介助者にそうした(あなたたちは私たちの手足、それ以上でも、それ以下でもないといった)関係性を要請することは禁じてい」たり、「介助者はコミュニケーションやアクセスの幅と機会を拡大する、主体性をもったサポーターで、手足などという存在ではとうていありえない」という意見が表明された。

一方、「健常者」の側(僕を含め)からは、「手足論」は関係性における権力構造を鮮やかに射抜く側面も持っていて、もう少し詰めた議論も必要で、評価については留保したいという意見が目立ったように思う。

ある意味、逆転したかのようなこの状態にこそ、乱暴に言えば、僕も含め、自分は抑圧者側にしか立ち得ないという二項対立に安易に依拠してしまう、「血責」論者の勝手な思い込みが表現されているのかも知れない。

批判されない位置に予め身をおくことを一義としてはいなかったかと、自問しつつ、「手足論」については、それでもなお僕なりに拘泥してみたい。

Yさん、貴重な研究の深化を本当に心待ちにしています。

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2006年3月28日 (火)

SSさんへ

ブログもインターネットも信用していないし、使ったこともない。本当の情報、金が取れる情報は、しかるべき人間(俺のような)が、現場に足を運ばない限り取れない。アナログの中にこそコクのある本を生み出す可能性がある。

そうかも知れないけれど、Sさん。ネットやブログの登場で初めて、あなたのいうところの世間とアクセスできた「弱者」へ想いはいたっているでしょうか(きわめて直截的にいうなら、視覚障害者がそうであるように。ただこれは、Sさんが今日のお話でもよく使ったメタファーなのかもしれない)。Sさんが敬愛する宮本常一や網野善彦であれば、こうした見過ごしてはいけない隙間にも目が届いていた気がします。Sさんのお仕事のような凄みと深みはとうてい持ちえてはいない人々や事柄に、軽率な評価を下す前に、立ち止まって考えること、そうした留保は持ち合わせてしかるべきなのではないでしょうか。

圧倒的な、書きかつ読むことへの自負に満ちたお話の陰に、たやすくこの能力と権益をお前たちに渡しはしないし、そもそも望むべくもお前たちにはなしえないという傲慢と、旧き良きジャーナリズムなるものへのリスペクトの強要を、感じたのは私だけでしょうか。

ブログ一般が悪いのではなく、それに飛びつく安易な編集者や出版者(社)が情けないという本筋から、あまりに大雑把なICTこけおろしにお話が飛躍したことをひたすら残念に思います。

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2006年3月27日 (月)

吉岡稔真で生きていける

仕事で世話になってきた、今後とも世話になろうと思っているある人の入院先に見舞いに行き、あまりの状態に愕然として帰ってきた、C駅近く。今日は競輪日本選手権の決勝の日で、この駅近くには、場外車券を売っている競輪場がある。とった人もとられた人も、みな興奮して口々に賞賛と悪態と両方を吐き出しながら駅に歩いてくる。そんな人群れと一緒になった。

吉岡が勝ったらしい。10年以上も前、違うことで気持ちがくすんでいた時、立川や、川崎や大宮で、吉岡の、周りが、ほかの8人の選手たちが、視界から消えてなくなるような走りを見てアドレナリンが上がりまくり、初めて顔を合わしたおっちゃんたちと、競輪場近くの飲み屋で、その走りを褒め称えながら杯を重ね、胸の痞えをとっていた。

帰ってきてMXTVで予約しておいたビデオを見た。日本選手権の決勝なのに、ちばTVがキー局で、テレビ東京はおろか、NHKのBSでも放送していない。

吉岡は逃げ切りで勝っていた。検車場で、加倉と紫原が、泣いているらしい吉岡に何か声をかけているシーンが映っていた。

こんなことがあったりして、何とか生きていける。

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2006年3月24日 (金)

頑張れSさん

R25を代表とするフリーペーパーはともかく、フリーDVDマガジンまでもが堂々と流通しているとは知らなかった。墨字から、一気にデジタルデータの世界まで広告収入に依拠する「フリー」の枠組みが広がるわけで、書店、取次店は無論、メーカーである出版社も、これまでとは違う対応を迫られるのかも知れない。

不明を恥じるということでは全く同じだけれど、育成会のSさんが出版社Sプランニング を立ち上げたことも、今の今まで知らなかった。僕が思い描いていた仕事の中身とかなりかぶるので、正直のところショックではある。すでにSさんの所から出版されたNさんはもちろん、Hさんも約束済みなのだろうし……。

でも、Sさんが50歳を迎えて会社をたちあげた、その事実は、とても強く僕の背中を押してくれます。名乗るには差しさわりが未だ何かとあって、礼を失しますが、当方も負けずに頑張るつもりです。「タダ」に負けない、替えることの出来ない何かですよね。Sさん!

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2006年3月22日 (水)

親愛なるIに捧ぐ

野球のことは書かないでおこうと思ったのだけれど、あまりにイチローを持ち上げて大騒ぎするので我慢が出来なくなった。

いまさら言うまでもなく、帝国アメリカMLBの金儲けのために仕組まれたWBCだったことは間違いないし、日程、勝ち上がり方式など問題点を論えばきりがない。

(こうしたMLBの戦略については『帝国化するメジャーリーグ』という本に詳しい)

試合は、確かに野球の魅力に満ちていた(もっとも日本がらみの試合しか見ることは出来なかったが)。準決勝、日本vs韓国の緊迫した投げあい、守りあい(特に韓国のショート朴鎮萬の守備)は素晴らしかったし、福留が放り込んだホームランも、決勝で松坂が投げ込んでいた高めのストレートも胸がすく見事さだった。

そういう魅力に水をさしたのがイチローなのだ。

優れたプレイヤーであることにまったく異議はない。ただ、MLBに渡った彼は、その苦虫を噛み潰したような顔で、ストイックだ、クールだと形容されながら、自分が指定するメディア以外のすべてを遠ざけ、ひたすら安打(かなりの部分を内野安打が占める)を積み重ねることによって、孤高の天才などという称号を得て、それと引き換えにベースボールから天真爛漫さを奪ってしまった。

そして、今大会での打って変わった、エキセントリックとも言える、饒舌と挑発。MLBやシアトルを見返そうとしているといった穿った見方もあるようだが、「むこう30年、日本には手を出せないと思わせる」と口火をつけ、負ければ負けたで「野球人生で最も屈辱的な日」とのたまい、韓国がマウンドにたてた旗を叱り、「喧嘩だ」とチームを煽る。

沈黙が饒舌に形を変えても、野球を見る楽しみ~芝生と土の上で、自分には到底叶わない速い球を投げ、またそれを夢のような放物線を伴って打ち返すといったようなこと~から何かを奪い、そのスタイリッシュな外見とは裏腹に、恨みやら、武士道やら、根性といった、野球の豊かさの対極にあるものへと、方向付けをしていることに変わりはない。

彼の煽動にのった若いファンが街頭でのインタビューに応じて、「イチローさんのあの言葉で日本中が一つになれた」と真顔で語っているシーンを見たが、奇妙なカリスマ待望意識を持ち込んだという意味でもその罪は重い。

願わくは、西岡や川﨑が一刻も早くその呪縛から解放されんことを。

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2006年3月19日 (日)

感動している自分に感動している自分

安藤鶴夫を評して、永六輔さんが書いている文章のなかに(文藝春秋版『遠くへ行きたい』1972年刊。中学生のときに買った本でなぜか今でも持っていて時々読む)、

「常に感動を求め続け、探しつづけ、遂には感動をするための美談を創作して感動する。<中略>こうして安藤サンは当り前のことに感動し、感動する自分に感動し、僕はその感動振りに感動したものだった。<中略>僕達の周辺にはいろいろな種類の美談がいりみだれて、これは女性週刊誌のスキャンダル以上に、判断力をまどわせてはいないだろうか」

というのがあって、師匠と仰ぎ敬愛した安鶴先生を、「いずれ、このあたりから評伝を書きたい」と結んでいる。僕は、この一文だけでも永六輔は信用できると今でも思っていたりするのだけれど、つい先日、朝日新聞の夕刊に、奥泉光さんが、こんなことを書いていて、

「感動することは無条件によいといえるだろうか。感動とは心が何かの力に動かされることであり、だから感動しやすい人とは、簡単に動かされてしまう人でもある。<中略>感情的になるあまり、判断力を失い、感動の背後に隠された差別や抑圧や自由の圧殺に気付かない人でもある」

どちらが、胸にすとんと落ちるかというと、僕には30年以上も前の永さんの言い方のほうであって、奥泉さんのものは、直截的にすぎて逆に上っ調子という感じがする。

それはともかく、あまりに安直に泣いたり怒ったり、その感動やら怒りやらを他者に押し付けたり、沈思黙考している人を嘲笑したりすることは、止めたほうがいいのだと思う。

奥泉さんいうところの「その程度で感動してたまるか」というやせ我慢。わが身の覚悟としても肝に銘じたい。

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2006年3月17日 (金)

矢来町の本

矢来町といっても、新潮社ではなく、古今亭志ん朝師のこと。亡くなってもう5年近くになりますが、追悼本、関連書が今に至っても続々と出版されています。

買っちゃいますね。我慢できない。最新刊は文藝春秋の『よってたかって古今亭志ん朝』でしょうか。京須偕充さんがかかわった筑摩文庫の速記本、光文社新書のCD解説本2冊と並んで、面白く読めました。

中野翠さんの新書も出ましたが、古今亭礼賛の度が過ぎるのと(談志無視はうれしいけれど、居残りとか黄金餅でも言及しないのはいくらなんでも無理)、大須演芸場に行った自慢話をいつまでもくどくど書いているのは噴飯もの。ついでに言うと小林信彦さんもただ好きだというばかりで、何の批評にもなっていない。

『よってたかって』は弟子たちの座談ですが、お姉さんの美津子さんが書いたものより、身内誉め臭さがなく、笑いのめしながら師匠を惜しむ感じ、たとえは悪いけれど、ハイロンサムの気分が出ていて好きです。

それにしても、京須版以外いっさい音も映像も商品化されないのはなぜなんでしょうか。志ん朝師が生前、それを許さなかったのは分かりますが、遺言にでもなっているのか、それとも……。異論はあると思いますが、講談ネタのような端正な噺がとてもいいように思うので、『浜野矩随』や『中村仲蔵』など、ぜひCDで聞きたいところなのですが。

怖いもの知らずで勝手なこと書いたけど、その筋じゃ常識なのかしらん。Y紙のNさんに、人を介して聞いてみよう(今、一番読みたい落語の本はNさんのシリーズ第三弾)。

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2006年3月16日 (木)

法政よ、そこまで腐ったか!

周知のとおり、こんなことがおきてしまいました。

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn/20060314/20060314-00000617-fnn-soci.html

中核派には何の思い入れもないし、20年ほど前のKという劇団をめぐってのある攻防の時の動き方をはじめ、だまされ裏切られた苦い記憶しかない。

ただ、そんなことは関係なく、法政という大学のここまでの腐り方(もともとそうだったんだよ、いまさら何を言ってんの、と言われたら返す言葉もないけれど)には、怒りを通り越して反吐が出る。学生会館つぶして、キレイなキャンパスにして、それで学内に公安入れて、パクらせる。

すごく誤解を受ける言い方かもしれないけれど、バリ封やっているとか、ロックアウトがかかっている中で座り込んでいたりするのを、機動隊が引っこ抜いていくのより、公安私服が200人も大学の中に入り込んで(入れて)、すっぴんの人間を逮捕していく光景の方が、何十倍も醜悪だと思う。

もうそんな大学、受験するのやめて、つぶしてしまえばいい。少なくとも、学生(法政の学生かどうかなどはもちろん何の関係もないし、学生でなくても関係ないけれど、大学が学生を売ったら少なくてもそれは糾弾されるべきでしょう)を平気で売り渡して、警察の力で「学内秩序」だかを守るようなところ、誰が大学だなどと認めてやるか! もともと思い入れなんかないけど、これで完全に愛想がつきた。

ことの本質は、熊谷伸一郎さんたちが言っているところにあるのでしょうし、こんな雑文、ただの繰言なのでしょうが、法政大学という空間が持ってしまった贖いきれない罪について一言。

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2006年3月15日 (水)

生べてる

いう所の、ふつうでなかったり、強くなかったり、声高でなかったりする人の、あるいはそういう事柄に対する、表現や主張の誠実な媒介者でありたい、という意味と覚悟をこめてタイトルと、キャッチをつけました(なにから引かせていただいたかは、ばればれですが)。

とはいえ、まずは、日々の雑感をつづっていくだけです。

3月11日の土曜、当事者研究で名を馳せている「浦河べてるの家」の講演会に出かけてきました。

国立リハビリテーションセンターの河村宏さんが(すごいよこの人は)、中心になって企画されたもので、ぼく自身、当日お話を聞くまで、国リハが「防災」を軸に浦河町をモデル地区として、「認知・知的障害者を対象とした情報・コミュニケーション開発」というプロジェクトを展開していることは、知りませんでした。
http://www.rehab.go.jp/ri/safety/index.html

この日が「生べてる」デビューだったのですが、Mr.べてること早川さんの存在感と、Dr.川村の「治さない、治し過ぎない精神科医療」の話には、多少、活字での予備知識があったとはいえ、やはり圧倒されました。

とくに、「四丁目ぶらぶらざ」を紹介する中での、「ぶらぶら族をやるのも大変、図書館で勉強しないといけない」、「働くことが似合わない人もいて、そういう人こそ地域の潤滑油になれる」といった話や、

「昔は『7病棟上がり』と差別されたが、今は街のみんながジェラシーの目で見ている」という話、

あるいは、まとめとして出された、
●「障害」の視点から「阻害」の視点へ
●「力が無い」のではなく「力を出せない」、「出しにくい状況」
●当事者がかかえる症状や生きづらさへの自己対処の可能性
といった論点など、

厳しい差別にさらされた過去と、自ら「当事者学の夜明け」と言い切る、自信に満ちた現況とが、切断されることなく語られ、自分のみっともない日常に喝を入れられた気がしてきます。

この4月から、向谷地さんの息子さんと早川さんが中心になって、メディア関連の会社も起こすとの事で(当日ご本人からアピールがあったのでオープンにしていいと判断しました )、出版事業なども自前で展開していくようです。まさに、一人一企業へむけてまっしぐらです。

会場も、精神障害の当事者、家族が中心で、地域での自立生活へ向けた知恵と勇気(違和感があるけど、他に言葉が出てこない)を共有しにやって来た、という熱気にあふれていました。

何も問題はない、すばらしいのですが、少し引っかかるものがある。
今もそれを自問しているのですが、おそらく、それはこんな感じです。

やっぱり、ぶらぶら族だけじゃ成立しないんじゃないかという漠然とした疑問。
あるいは、ぶらぶら族とあえて名づけ、押し出すというやり方の、かっこよすぎる感じ。それに伴っての、当事者主体の立ち顕れかた。

「べてるの家が獲得してきた言説空間を、広く伝え共有化していく」という、若い向谷地さんのお話に何の文句もないのだけれど、みんなべてるみたいにやろうよとなった瞬間から、抜け落ちていくもの、たとえば、まったく上手くいかなくて、イライラばかり、憎しみと裏切りばかり続いてきたかもしれないけれど、確かにあったし、今もあるだろう、他の人たち、他の空間での「生きづらさ」の経験。

ひねくれもののやっかみかもしれないけれど、この辺のことも含め、べてるの家から発信されているものの意味を、まずは、活字で今一度じっくりかみしめてみたい。

そんなふうに、思いました。

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2006年3月12日 (日)

ブログ開始

本日よりブログを開始します。

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