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2006年5月19日 (金)

性同一性障害の子ども

Kさんもブログで早速書いているけど、今日はこの話題でもち切りでしょう。見舞いにいった病院でパートナーも言っていたけれど、まあまあ偏見が少ないほうの人たちで形成される世間の評価であっても、概ね「ここんちは身内が偉い」ということになってしまうのではないだろうか。

Kさんが言っている、前提としての「否定的な意味づけの受忍」と言う指摘は全くその通りで、このあたり例えば発達障害をめぐる議論の中でも今一度きちんと考えられてしかるべきだろうと思うし、つまりは「ここんちは身内が偉い」という僕も第一感としてもった感覚もこうしたことに支配されているのだ。全く自分自身が情けない。

異なるもの(のように見えたり、よく考えないことでそう認識してしまったりするもの)の排除が、予め措定される世の中は良くない。せめてそれぐらいはきちんと頭に入れておきましょう。

とまれ、悪意に満ちた「あの子はだあれ」ゲームだけは起こらないことを祈る。

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