2006年5月19日 (金)

性同一性障害の子ども

Kさんもブログで早速書いているけど、今日はこの話題でもち切りでしょう。見舞いにいった病院でパートナーも言っていたけれど、まあまあ偏見が少ないほうの人たちで形成される世間の評価であっても、概ね「ここんちは身内が偉い」ということになってしまうのではないだろうか。

Kさんが言っている、前提としての「否定的な意味づけの受忍」と言う指摘は全くその通りで、このあたり例えば発達障害をめぐる議論の中でも今一度きちんと考えられてしかるべきだろうと思うし、つまりは「ここんちは身内が偉い」という僕も第一感としてもった感覚もこうしたことに支配されているのだ。全く自分自身が情けない。

異なるもの(のように見えたり、よく考えないことでそう認識してしまったりするもの)の排除が、予め措定される世の中は良くない。せめてそれぐらいはきちんと頭に入れておきましょう。

とまれ、悪意に満ちた「あの子はだあれ」ゲームだけは起こらないことを祈る。

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2006年3月16日 (木)

法政よ、そこまで腐ったか!

周知のとおり、こんなことがおきてしまいました。

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn/20060314/20060314-00000617-fnn-soci.html

中核派には何の思い入れもないし、20年ほど前のKという劇団をめぐってのある攻防の時の動き方をはじめ、だまされ裏切られた苦い記憶しかない。

ただ、そんなことは関係なく、法政という大学のここまでの腐り方(もともとそうだったんだよ、いまさら何を言ってんの、と言われたら返す言葉もないけれど)には、怒りを通り越して反吐が出る。学生会館つぶして、キレイなキャンパスにして、それで学内に公安入れて、パクらせる。

すごく誤解を受ける言い方かもしれないけれど、バリ封やっているとか、ロックアウトがかかっている中で座り込んでいたりするのを、機動隊が引っこ抜いていくのより、公安私服が200人も大学の中に入り込んで(入れて)、すっぴんの人間を逮捕していく光景の方が、何十倍も醜悪だと思う。

もうそんな大学、受験するのやめて、つぶしてしまえばいい。少なくとも、学生(法政の学生かどうかなどはもちろん何の関係もないし、学生でなくても関係ないけれど、大学が学生を売ったら少なくてもそれは糾弾されるべきでしょう)を平気で売り渡して、警察の力で「学内秩序」だかを守るようなところ、誰が大学だなどと認めてやるか! もともと思い入れなんかないけど、これで完全に愛想がつきた。

ことの本質は、熊谷伸一郎さんたちが言っているところにあるのでしょうし、こんな雑文、ただの繰言なのでしょうが、法政大学という空間が持ってしまった贖いきれない罪について一言。

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