いう所の、ふつうでなかったり、強くなかったり、声高でなかったりする人の、あるいはそういう事柄に対する、表現や主張の誠実な媒介者でありたい、という意味と覚悟をこめてタイトルと、キャッチをつけました(なにから引かせていただいたかは、ばればれですが)。
とはいえ、まずは、日々の雑感をつづっていくだけです。
3月11日の土曜、当事者研究で名を馳せている「浦河べてるの家」の講演会に出かけてきました。
国立リハビリテーションセンターの河村宏さんが(すごいよこの人は)、中心になって企画されたもので、ぼく自身、当日お話を聞くまで、国リハが「防災」を軸に浦河町をモデル地区として、「認知・知的障害者を対象とした情報・コミュニケーション開発」というプロジェクトを展開していることは、知りませんでした。
http://www.rehab.go.jp/ri/safety/index.html
この日が「生べてる」デビューだったのですが、Mr.べてること早川さんの存在感と、Dr.川村の「治さない、治し過ぎない精神科医療」の話には、多少、活字での予備知識があったとはいえ、やはり圧倒されました。
とくに、「四丁目ぶらぶらざ」を紹介する中での、「ぶらぶら族をやるのも大変、図書館で勉強しないといけない」、「働くことが似合わない人もいて、そういう人こそ地域の潤滑油になれる」といった話や、
「昔は『7病棟上がり』と差別されたが、今は街のみんながジェラシーの目で見ている」という話、
あるいは、まとめとして出された、
●「障害」の視点から「阻害」の視点へ
●「力が無い」のではなく「力を出せない」、「出しにくい状況」
●当事者がかかえる症状や生きづらさへの自己対処の可能性
といった論点など、
厳しい差別にさらされた過去と、自ら「当事者学の夜明け」と言い切る、自信に満ちた現況とが、切断されることなく語られ、自分のみっともない日常に喝を入れられた気がしてきます。
この4月から、向谷地さんの息子さんと早川さんが中心になって、メディア関連の会社も起こすとの事で(当日ご本人からアピールがあったのでオープンにしていいと判断しました )、出版事業なども自前で展開していくようです。まさに、一人一企業へむけてまっしぐらです。
会場も、精神障害の当事者、家族が中心で、地域での自立生活へ向けた知恵と勇気(違和感があるけど、他に言葉が出てこない)を共有しにやって来た、という熱気にあふれていました。
何も問題はない、すばらしいのですが、少し引っかかるものがある。
今もそれを自問しているのですが、おそらく、それはこんな感じです。
やっぱり、ぶらぶら族だけじゃ成立しないんじゃないかという漠然とした疑問。
あるいは、ぶらぶら族とあえて名づけ、押し出すというやり方の、かっこよすぎる感じ。それに伴っての、当事者主体の立ち顕れかた。
「べてるの家が獲得してきた言説空間を、広く伝え共有化していく」という、若い向谷地さんのお話に何の文句もないのだけれど、みんなべてるみたいにやろうよとなった瞬間から、抜け落ちていくもの、たとえば、まったく上手くいかなくて、イライラばかり、憎しみと裏切りばかり続いてきたかもしれないけれど、確かにあったし、今もあるだろう、他の人たち、他の空間での「生きづらさ」の経験。
ひねくれもののやっかみかもしれないけれど、この辺のことも含め、べてるの家から発信されているものの意味を、まずは、活字で今一度じっくりかみしめてみたい。
そんなふうに、思いました。
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