2006年10月 7日 (土)

再びの挨拶

というわけで、出版社を作って本を出していきます。個人ブログを中断して早4ヶ月、その間は本当に会社を辞め、会社を作ることで精一杯でした。日記も書けないなんてことはないだろうと言われればそれまでですが。

昨日は、ある人から開業祝のコーヒーメーカーが届きました。格別の思い入れがある人からの頂き物なので、正直とても嬉しかった。こういうことがあって、モチベーションは保たれ、そして、次のステップなり、ターンなりが踏めるし、切れる、そう思います。

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2006年5月 9日 (火)

渡さんの本

亡くなった高田渡さんが2001年に上梓したバーボン・ストリート・ブルースという本の中に、「ガンコのすすめ」という一節があって、帯にも使われているのだが、こんなことが書かれている。

「今はたぶん“目先の時代”なのだと思う。
いつもみんなといっしょに目新しいものを追いかけていたい、
みんなが持っている新しいものを自分も持っていたい。
みんながいる新しい場所に自分もいたい――
それをしていないと、自分ひとり取り残されていくような疎外感に襲われるのだろう。
そして洗脳する側もまた巧みにその不安感を煽ろうとする。」

べ平連に言及して、小田実を「自分の生活はしっかりとガードし、戦闘の最前線に兵士を送り込む司令官」と痛烈に批判し、「『変わらないなあ』と言われる。それはそうだ。根っこも生き方も変わっていないのだから、変わるわけがない。それが若いころに『オレは絶対に変わらないよ』と公言してはばからなかったヤツにかぎって変わっていたりする。言わなければいいのにと思う。」と語る渡さんらしい、当たり前といえば当たり前の言葉だけれど、久しぶりに読んでかなり応えた。

おそらく、渡さんが言っているのとは違う意味に読んでしまっているのだろうけれど、現状から一歩を踏み出すことがなかなか出来ないでいる私自身への痛烈な皮肉に聞こえるのだ。

結局は、変節しない単独者でいることが出来なくて、毎日、言い訳を探しているだけ、自分のことを棚にあげて、まわりのせいにしているだけじゃないのかお前は、といったような。

売れようが売れまいがかまわない、オレは変わらず演るといって、本当にそう生きた人ならではだなあ。決して声高ではないけれどその代わり変節もしなかった渡さんの言葉はある普遍性を湛えている気がしてならない。

どこまで出来るかはわからないけれど、少しは見習って頑張ってみるかと、連休中の酒の呑みすぎで弱った胃の腑をさすりながらそう考えた次第です(酒で死ぬことまで倣いたくはないけれど)。

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2006年4月28日 (金)

面白い話は抜きにして

現実の事例をプライバシーに十全な配慮をしながら、丹念かつ、大胆に取り上げ、峻烈にしかし、共感をもって書き上げた文章は、人を引き付ける。臨場感、ドラマ性、良い言い方ではないが覗き見、感動や涙への訴求。先行研究の成果と正面からは向き合うことはないかもしれないが、手法は十分に咀嚼され、場所・空間・関係性は姿を変え語られる。それはやはり新鮮で、別種の面白さがある。

比べて、先行研究に対し敬意をもって検討しつつも、予め平伏するのではなく、疵があると判断すれば臆せず批判する、しかし、あくまで論理構築上の話で生々しい事例はいっさい登場しない。そうした、若い研究者の論考はともすれば疎まれる傾向にあるような気がしてならない。

わかりやすければ何でもいい。面白ければいい。それだけではつまらないし、もっと言えば大変危ういことになってしまう。繰り返し繰り返し読んでも理解できない、しかし、何か大事なことを考えている、発言しようとしている。それは理解できる。だから、今一度読んでみる。

短絡的に、乱暴に、社会や世界を説明しようとしない。真摯に丁寧に事物を考え、説明しようとしている論者は尊敬されるべきだ。自分の能力の及ぶ範囲に自信が持てなければ、せめてそれぐらいには謙虚でありたい。

面白い話は全くないけれど、真っ当なことを考えている。難しいけれど大事なこと。Hさんの論考をそんな想いで行きつ戻りつ読んでいる。

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2006年4月26日 (水)

0.62

「口座を開くこと自体は別に問題はないのじゃない。半年、飲まず食わずの覚悟があればね。ただ、ほとんどつぶれていくみたいだけど」という、励ましにもならない、貴重なサゼッションをいただいたり、ノマーが逆転のグランドスラムをかっ飛ばしたり、まあまあ、良い日ではあった。

評論家(?)の呉智英氏が、自身の父のことを取り上げ、二日ほど前に朝日に載せた短文の中で、「家族をもちながら自分のことしか考えない知的なエゴイストで、そこを私は尊敬していた」といった趣旨のことを書いていた。普段の言説はともかく、この一文に限っては、正しいように思う。

エゴイステックという言い方が悪ければ、はやりの自己実現でもいい。一度きりの生において、何らかの徴を刻みたい(絶対評価ではなく相対評価が常で、なおかつそれをこそ欲するのがまた悲しい)と思うのは当然ではないのか。

といいながら、それでは自己決定という四文字から遠く隔てられた存在はどう考えればいいのか。そこに、思考はいつも還っていくのだけれど、結局は辿り着かないとしても、その答えを探して何かを(出版という仕事に関連して)、紡ぎ出していくしかない。たとえ、0.62でも。

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2006年4月20日 (木)

お勉強の時間

いよいよ処遇がはっきりしてきたので、これを先途とお勉強をせねば。

今日は予ねて噂を聞いていたK大のGさんにご挨拶のメールを書いた。抜き刷りを送ってくれるそうだ。感謝。なかなか手に入らない雑誌なので本当にありがたい。社会モデルを潜ってきた上での身体に関わる言説といったあたりで、何か新しいことを考えている人とお知り合いになるのが目下の目標ではある。

金曜にはT大のHさんとお会いするし、今週中には、H大のHさんの論文も読めるはずなので楽しみ。というわけで今日は敬愛するKさんの文体を真似てみました。似ていないけど。イニシャルが多いのは格好をつけているわけではありません。まあ、こんなことをしてみたくなるときもあるよね。

明日は、林家木久蔵の芸の奥行きについて書くつもりでおります。乞うご期待。

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2006年4月13日 (木)

誰がために鐘を鳴らすか

5年ばかり前頻繁に会っていた、扱うジャンルは全く異なるけれど、話す言葉に首肯することの多かった、同世代の出版人がいる。その彼の振る舞いの中でただ一つ納得できなかったことがあって、それは、誰のために働くのかと問われ、①会社②自分③家族のうち①を挙げないものは去るべしといったことをもっともらしく明文化しただけの、会社の社訓への彼の無条件の服従だった。

本当にそうなのか? 実は自分自身それに近いことを言い訳にしてこれまで仕事をしてきた。でも嘘をついている。おそらく大方の人間は嘘をついている。出版などという業態を選んでおいて滅私奉公というのはあり得るはずがない。

ただ、敬愛するKさんが言葉を変えていっているように、どうやら世の中には二つの類型があって、一つは、人と同じである、あるいは集団から排除されないということに固執する群であり、もう一つは、違うということ、あるいは集団に帰属しないことに固執する群のような気がする。そしてこの類型を考え、気に病むのは前者の群に属する人間だけで、後者群は類型があることすら気にしないのかも知れない。

ではあっても、日々無力化を仕掛けてくる権力装置に対しては、群れから出るための理論武装を積み重ねるしかない。「いつ飛ぶの」という揶揄に怯むことなく。

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2006年4月11日 (火)

自己決定

兄の誕生日が近づいてきた。知的と頚損の重複で今も施設入所の兄の誕生日が。こうした重度の知的や重複障害のある子をもつ親へのアンケートでは、親亡き後はきょうだいに託したい、でも言い出せないという答えが多いと言う文献も読んだ。

自立生活といい、自己決定という、それに沿って考えなければと自分の来歴を振り返っても思う。重度の知的だって地域で生きていけるという話だってつい最近も聞いた。

わからない。自己決定していない、支援者がそう見えたような気になっているだけっていう場合は本当にないのかな。コミュニケーションの全的不全って本当にないといえるのかな。

書かれてきたことを、語られてきたことを、きちんと読み込めば何かがわかるのかな。

当事者が語るということの対極にいる存在や事柄について、何がしかの有用性をもった仕事は出版を通して可能なのだろうか。

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2006年4月 5日 (水)

狼煙はもう上がらないか

自己憐憫と、他人へのくだらないやっかみで肉体も精神も腐りかけると、薬を呑むように、亡くなった松下竜一さんの狼煙を見よや、Dさん自身の『明けの星を見上げて』を読み返す。

もしかなうなら、いずれ東アジア反日武装戦線の思想と実践の軌跡、その全体像を出版の仕事として纏めてみたい。ノスタルジアに浸ったくだらない団塊向け企画ではなく、今も獄にあるDさんやYさんの、揺れながらも真摯な、死ぬに死ねない気持ちを受け止めるような……。 

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理不尽なことの説明

里親が子どもをシェイキングベイビーで殺してしまった。尊厳死は認めるべきだと90歳を超えた国民的アイドルの医師が語った。しっかりと、よく考えられるべきことの、前提と方向とがかなりおかしなことになっている。少なくとも前者がおぞましく、後者が喝采を浴びるという極端に単純化、矮小化された公論が形成されていいはずがない。

理不尽なことがらの説明を、それすらも聞かされることなく逝ってしまった人たちの分も含めて、とても無理かもしれないけれどやろうとするのが、出版の仕事だと言い聞かせたい。Nくん、箴言と苦言、感謝します。

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2006年3月29日 (水)

介助者手足論

この間の土曜日にあったある研究会で、青い芝が提起した「介助者手足論」が、中心的な話題として語られる機会があった。

その、現在における有用性について、障害当事者はむしろ否定的で、「介助者にそうした(あなたたちは私たちの手足、それ以上でも、それ以下でもないといった)関係性を要請することは禁じてい」たり、「介助者はコミュニケーションやアクセスの幅と機会を拡大する、主体性をもったサポーターで、手足などという存在ではとうていありえない」という意見が表明された。

一方、「健常者」の側(僕を含め)からは、「手足論」は関係性における権力構造を鮮やかに射抜く側面も持っていて、もう少し詰めた議論も必要で、評価については留保したいという意見が目立ったように思う。

ある意味、逆転したかのようなこの状態にこそ、乱暴に言えば、僕も含め、自分は抑圧者側にしか立ち得ないという二項対立に安易に依拠してしまう、「血責」論者の勝手な思い込みが表現されているのかも知れない。

批判されない位置に予め身をおくことを一義としてはいなかったかと、自問しつつ、「手足論」については、それでもなお僕なりに拘泥してみたい。

Yさん、貴重な研究の深化を本当に心待ちにしています。

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2006年3月28日 (火)

SSさんへ

ブログもインターネットも信用していないし、使ったこともない。本当の情報、金が取れる情報は、しかるべき人間(俺のような)が、現場に足を運ばない限り取れない。アナログの中にこそコクのある本を生み出す可能性がある。

そうかも知れないけれど、Sさん。ネットやブログの登場で初めて、あなたのいうところの世間とアクセスできた「弱者」へ想いはいたっているでしょうか(きわめて直截的にいうなら、視覚障害者がそうであるように。ただこれは、Sさんが今日のお話でもよく使ったメタファーなのかもしれない)。Sさんが敬愛する宮本常一や網野善彦であれば、こうした見過ごしてはいけない隙間にも目が届いていた気がします。Sさんのお仕事のような凄みと深みはとうてい持ちえてはいない人々や事柄に、軽率な評価を下す前に、立ち止まって考えること、そうした留保は持ち合わせてしかるべきなのではないでしょうか。

圧倒的な、書きかつ読むことへの自負に満ちたお話の陰に、たやすくこの能力と権益をお前たちに渡しはしないし、そもそも望むべくもお前たちにはなしえないという傲慢と、旧き良きジャーナリズムなるものへのリスペクトの強要を、感じたのは私だけでしょうか。

ブログ一般が悪いのではなく、それに飛びつく安易な編集者や出版者(社)が情けないという本筋から、あまりに大雑把なICTこけおろしにお話が飛躍したことをひたすら残念に思います。

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2006年3月24日 (金)

頑張れSさん

R25を代表とするフリーペーパーはともかく、フリーDVDマガジンまでもが堂々と流通しているとは知らなかった。墨字から、一気にデジタルデータの世界まで広告収入に依拠する「フリー」の枠組みが広がるわけで、書店、取次店は無論、メーカーである出版社も、これまでとは違う対応を迫られるのかも知れない。

不明を恥じるということでは全く同じだけれど、育成会のSさんが出版社Sプランニング を立ち上げたことも、今の今まで知らなかった。僕が思い描いていた仕事の中身とかなりかぶるので、正直のところショックではある。すでにSさんの所から出版されたNさんはもちろん、Hさんも約束済みなのだろうし……。

でも、Sさんが50歳を迎えて会社をたちあげた、その事実は、とても強く僕の背中を押してくれます。名乗るには差しさわりが未だ何かとあって、礼を失しますが、当方も負けずに頑張るつもりです。「タダ」に負けない、替えることの出来ない何かですよね。Sさん!

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2006年3月19日 (日)

感動している自分に感動している自分

安藤鶴夫を評して、永六輔さんが書いている文章のなかに(文藝春秋版『遠くへ行きたい』1972年刊。中学生のときに買った本でなぜか今でも持っていて時々読む)、

「常に感動を求め続け、探しつづけ、遂には感動をするための美談を創作して感動する。<中略>こうして安藤サンは当り前のことに感動し、感動する自分に感動し、僕はその感動振りに感動したものだった。<中略>僕達の周辺にはいろいろな種類の美談がいりみだれて、これは女性週刊誌のスキャンダル以上に、判断力をまどわせてはいないだろうか」

というのがあって、師匠と仰ぎ敬愛した安鶴先生を、「いずれ、このあたりから評伝を書きたい」と結んでいる。僕は、この一文だけでも永六輔は信用できると今でも思っていたりするのだけれど、つい先日、朝日新聞の夕刊に、奥泉光さんが、こんなことを書いていて、

「感動することは無条件によいといえるだろうか。感動とは心が何かの力に動かされることであり、だから感動しやすい人とは、簡単に動かされてしまう人でもある。<中略>感情的になるあまり、判断力を失い、感動の背後に隠された差別や抑圧や自由の圧殺に気付かない人でもある」

どちらが、胸にすとんと落ちるかというと、僕には30年以上も前の永さんの言い方のほうであって、奥泉さんのものは、直截的にすぎて逆に上っ調子という感じがする。

それはともかく、あまりに安直に泣いたり怒ったり、その感動やら怒りやらを他者に押し付けたり、沈思黙考している人を嘲笑したりすることは、止めたほうがいいのだと思う。

奥泉さんいうところの「その程度で感動してたまるか」というやせ我慢。わが身の覚悟としても肝に銘じたい。

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2006年3月15日 (水)

生べてる

いう所の、ふつうでなかったり、強くなかったり、声高でなかったりする人の、あるいはそういう事柄に対する、表現や主張の誠実な媒介者でありたい、という意味と覚悟をこめてタイトルと、キャッチをつけました(なにから引かせていただいたかは、ばればれですが)。

とはいえ、まずは、日々の雑感をつづっていくだけです。

3月11日の土曜、当事者研究で名を馳せている「浦河べてるの家」の講演会に出かけてきました。

国立リハビリテーションセンターの河村宏さんが(すごいよこの人は)、中心になって企画されたもので、ぼく自身、当日お話を聞くまで、国リハが「防災」を軸に浦河町をモデル地区として、「認知・知的障害者を対象とした情報・コミュニケーション開発」というプロジェクトを展開していることは、知りませんでした。
http://www.rehab.go.jp/ri/safety/index.html

この日が「生べてる」デビューだったのですが、Mr.べてること早川さんの存在感と、Dr.川村の「治さない、治し過ぎない精神科医療」の話には、多少、活字での予備知識があったとはいえ、やはり圧倒されました。

とくに、「四丁目ぶらぶらざ」を紹介する中での、「ぶらぶら族をやるのも大変、図書館で勉強しないといけない」、「働くことが似合わない人もいて、そういう人こそ地域の潤滑油になれる」といった話や、

「昔は『7病棟上がり』と差別されたが、今は街のみんながジェラシーの目で見ている」という話、

あるいは、まとめとして出された、
●「障害」の視点から「阻害」の視点へ
●「力が無い」のではなく「力を出せない」、「出しにくい状況」
●当事者がかかえる症状や生きづらさへの自己対処の可能性
といった論点など、

厳しい差別にさらされた過去と、自ら「当事者学の夜明け」と言い切る、自信に満ちた現況とが、切断されることなく語られ、自分のみっともない日常に喝を入れられた気がしてきます。

この4月から、向谷地さんの息子さんと早川さんが中心になって、メディア関連の会社も起こすとの事で(当日ご本人からアピールがあったのでオープンにしていいと判断しました )、出版事業なども自前で展開していくようです。まさに、一人一企業へむけてまっしぐらです。

会場も、精神障害の当事者、家族が中心で、地域での自立生活へ向けた知恵と勇気(違和感があるけど、他に言葉が出てこない)を共有しにやって来た、という熱気にあふれていました。

何も問題はない、すばらしいのですが、少し引っかかるものがある。
今もそれを自問しているのですが、おそらく、それはこんな感じです。

やっぱり、ぶらぶら族だけじゃ成立しないんじゃないかという漠然とした疑問。
あるいは、ぶらぶら族とあえて名づけ、押し出すというやり方の、かっこよすぎる感じ。それに伴っての、当事者主体の立ち顕れかた。

「べてるの家が獲得してきた言説空間を、広く伝え共有化していく」という、若い向谷地さんのお話に何の文句もないのだけれど、みんなべてるみたいにやろうよとなった瞬間から、抜け落ちていくもの、たとえば、まったく上手くいかなくて、イライラばかり、憎しみと裏切りばかり続いてきたかもしれないけれど、確かにあったし、今もあるだろう、他の人たち、他の空間での「生きづらさ」の経験。

ひねくれもののやっかみかもしれないけれど、この辺のことも含め、べてるの家から発信されているものの意味を、まずは、活字で今一度じっくりかみしめてみたい。

そんなふうに、思いました。

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